シューカツマルメガネ

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消去法の人生でも、いいと思う。新卒ライターとして活動されている絶対に終電を逃さない女さんにインタビュー

 

File007:絶対に終電を逃さない女さん(@YPFiGtH)

 

「好きなことで生きていこう!」とポジティブにフリーランスノマドを推奨する空気があります。しかし、新卒フリーライターをされている絶対に終電を逃さない女さんは、自身のことを「好きなことで生きていきたいからフリーライターをやってるとかじゃなくて、消去法の人生なんです」と語っています。

本サイトをご覧になっているという縁もあり、今回インタビューさせていただきました。なぜ新卒でフリーランスになったのか、新卒で就職できないことをどう思うか、どのように「絶対に終電を逃さない女」になったのか、お聞きしました。

 

 

 

 

——以前このサイトを引用してくださったのがご縁で、このインタビューになりましたが、サイトの感想をお聞きしてもよろしいでしょうか。

絶対に終電を逃さない女さん(以下、終女):

「意識が低い就活サイト」をうたっていますが、サイトに載っている人みんな、ちゃんとしていると思うんですよね。大学3年生からインターンに行ったり、OB訪問したり……ちゃんと準備して、活動しているのは、私からすると十分意識が高いことだと思います。

 

——「早大生の就活や受験の話を聞くと、…(中略)…カルチャーショックがある」という感想が気になったのですが、詳しくお聞きしてもよろしいですか?

終女:

サイトを見ていて、カルチャーショックを受けました。親からOB訪問先を紹介されたエピソードや、大学進学する際に「文化構想学部って夜間でしょ?」と言われたエピソードなどがあったじゃないですか。

うちの親は何も知らないんですよ。口出ししたとしても「私立って学費高いんでしょ?」「早稲田ってすごいんでしょ?」くらいです。就活のことも知らないから、何も言われなかったくらいです。

 

——確かに、インタビューをしてみて、早稲田生の教育水準の高さや育ちの良さを感じました。普通の意識低い学生だと思っていた人でも「え、あなた、社長の子供だったの?」みたいなことも。

終女:

その点、私は地方出身で、OB訪問もしていないので、心配いりませんね。

 

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就活サイトに登録して不眠症

——終女さんは、就職活動をされたんですか?

終女:

大学3年生の冬までは、就活しようとしていて、マイナビリクナビの登録しました。それっきりです。

 

——その後はどうなったのでしょうか。

終女:

マイナビリクナビに登録すると、メールが来るじゃないですか。最初は大丈夫だったんですが、次第に通知が来るたびに動悸がするようになりました。3年の冬の時点で、不眠症になりました。

 

——就活についての不安から、不眠症になったんでしょうか。

終女:

これは推測になっちゃうんですが、日常生活の積み重ねだったんだと思います。自分はストレスを感じないんだって勘違いしていたんですが、実際は自覚できていないだけで、ストレス発散もできませんでした。その時期は卒論と就活が始まる時期のプレッシャーがあったから、不眠症になったんでしょうかね。

 

——日常生活にストレスが蓄積していたんですね。

終女:

精神科に行ってカウンセリングを受けて、卒論との兼ね合いを考えて一般枠の就活を辞めることになりました。障害者枠の就活を始めようとしたら、それまでの手続きが複雑で時間がかかったんです。手帳を取得したり、支援センターに登録したり、そうこうしているうちに進路が決まらないまま卒業してしまいました。

卒業してからは、ハローワークに行ったりもしましたが、障害者雇用でも「定時出社」「最低でも8時間」みたいな条件があって、不眠症で生活リズムが不安定な自分では受けさせてもくれなかったんですよ。

 

仕事という場において私が求められることって、これくらいしかないと思うんですよね

 

——大学時代も、「バイト6つ中4つクビになった」とお聞きしましたが。

終女:

はい。ほかの2つは数日でやめました。

クビになったのは日雇い工場、ライター、覆面捜査、カードゲームの仕分けで、数日で辞めたのは飲食店と採点です。日雇い派遣は毎日集合場所が違うから現場にたどり着けないんですよね。道に迷うし、まず地図が読めないし。単純作業は疲れるし、それに、お腹が痛くなって当日欠勤ということもありました。

派遣会社のサイト上でシフト申請をするシステムだったんですが、ある日からアカウントを凍結されました。つまりクビですよね。

 

唯一長続きしたバイトが、ライターのバイトだったんです。それも最終的にはクビになったんですけど、なんとかやっていけたんです。ゆるい会社だったので、明らかに他の人よりも仕事が遅いのに何も言われないし、遅刻しても怒られない。だから、就職するときも、webメディアを作っている企業を受けようとしていましたね。もちろん、雰囲気重視で。

 

——就活ができないと気づいてから、フリーランスのライターに転向した勇気がすごいと思います。

終女:

そんなことないです。フリーランスに向いていないんですよ。固定給がないと不安になるし。安定したお金がないと不安。不安に支配される生活は嫌ですもん。

 

——「園子の部屋」*1のインタビューでは、「会社員として生きていく方が、幸せなのかな」とおっしゃっていましたね。

終女:

でも最近、不眠症になって2年、過眠もあって、睡眠障害が治らなくて、一時的に戻っても治らなくて、睡眠障害について悩んだり改善しようとすることに疲れて正社員を目指さなければこんなに悩まなくていいし、やめようかな、って思いはじめました……。

 

——ライター一本に絞ると決意されたんですか。

終女:

バイトが4つもクビになり、障害者雇用でも就職できなかった私が、ライターだけは何もしなくても向こうから仕事が来ている。そっちを大切にしようかなって思い始めたんです。

最近は、大きいメディアのお仕事が来るようになって……。GINZAのお仕事は、もともと好きな企画をされている編集さんからお声がけをいただきました。

仕事という場において私が求められることって、これくらいしかないと思うんですよね。

 

——「終女」の活動は、これを見越して始めたんでしょうか。

終女:

最初はそんなつもりもなく、サークルの内のノリではじめました。自己顕示欲が強いのでツイッターと相性が良かったみたいで、フォロワーもだんだん増えてきたんです。書いた実績をまとめてtwitterとかnoteに乗せていたら、自然に依頼が来るようになりました。去年の夏から今まで、ずっと何かしらの依頼が継続してくるんですよね。

 

——ライター業は性にあっていた、と。

終女:

ライターも向いていないんですよ。どの仕事にも通じる根本的なことができないんです。「何をしても遅い」ので働くこと自体が向いていない、フリーランスにも向いていない、会社員にも向いていない、何にも向いていないことが前提でその中でマシなやつを選べば、ライターだったんですね。消去法の人生ですよ。

 

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(余談)聞き手Mの進路相談

 

——本日はありがとうございました。

終女:

Mさん(聞き手)は、今後何をされるんですか?

 

注:Mさんは「ADHDワセジョのそれでもどっこい生きてる!」の執筆者であり、終女さんとは文学フリマで顔見知り。

 

ーー(聞き手M)えっ。私は一応、春から就職します。

終女:

発達障害があることは就職先に言ってますか?

 

ーー(M)ここにきて逆質問が……。言ってません。でも、入社してから無能がバレて「話が違う!」って怒られないか心配です。時々、夜にナーバスになって内定辞退しようかどうか悩むんですよね。

終女:

とりあえず働いてみたらいいと思いますよ。働いてみたら実は合っていたなんてパターンもありますし。ダメなら退職して、失業保険など受けられる社会保障制度の申請をしてくださいね。

 

ーー(M)わかりました。情報にアクセスして申請するのが本当に無理で……。

終女:

ああいうのって、必要な人ほど情報にアクセスして申請するのが困難だったりして、不親切ですよね。でも、申請すれば受けられる支援の制度はあるので。

 

ーー(M)せっかく就活も乗り切ったので、とりあえず働いてみます。

終女:

私自身とりあえず新卒一般枠で就職しなかった後悔があります。それに、この国って新卒無職のロールモデルがなくて、先が見えなくなってしまうんですよ。だから、ひとまず社会に出て試してみるのはいいかもしれませんね。

 

ーー(M)ありがとうございます(涙)……あの、後輩が就活のために合同説明会に行ったら涙が止まらなくなって動けなくなるというんですが、私はどうしたらサポートすればいいでしょうか。

終女:

本当に嫌で重度のうつ病になるとか、自殺するくらいならやめたほうがいいと思います。

 

ーー(M)実際、終女さんが合同説明会とかに行かれていたらどうなっていたんでしょうね。

終女:

私は就活というのが本当に気持ち悪くて。嘘をつくのも、競争も苦手。ヒールも苦手。同じ格好をした集団も苦手。全てが無理だったんです。

私自身、就活してたら死んでたかもしれないです。就活を辞めたときに、自律神経がやばくなっていたなと感じました。通知が来ると動悸が止まらないとか、全身に力が入って眠れない、歩けない、腹痛、そわそわして家の中を歩き回るとか、涙が出る。このまま続けたら本当にダメになると思ったんです。

 

ーー(M)新卒の一般枠で就活しなかったことは後悔しているとおっしゃっていましたが。

終女:今だから思うだけでしょうけど、「どこも受からなくてもいいや」みたいな気持ちで数社受ける程度は人生経験としてやればよかったかな。でも、それは結果論で、やらなくてよかったのかもしれませんね。今、こうして生きていますし。

 

 

 

▽今回の話し手

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絶対に終電を逃さない女……1995年生まれ、都内一人暮らし。ひょんなことから新卒でフリーライターになってしまう。現在、「GINZA」のウェブサイトにて『シティガール未満』連載中。

twitter.com

 

*1:絶対に終電を逃さない女さん、初の単独インタビュー【園子の部屋#10】

http://news.livedoor.com/article/detail/15948010/

サイト今後の方針と、5月6日文学フリマ東京について

『シューカツマルメガネ』は

5月をもちまして

一旦クローズします 

 

いつもありがとうございます。

 

この度、運営者(19卒)の就職により

インタビューが定期的に行えない状態になりました。

(当たり前ですよね。)

 

つきましては、現在インタビュー済みの

2本の更新を持ちまして

一度このインタビュー連載を中止させていただきます。

 

就職活動というナイーブな問題に対して、

「就活怖くないよ!そんでもって嫌なら辞めてもいいよね!」

という姿勢でサイトですが、皆様に少しでも伝えられてたら幸いです。

インタビューにお力添えいただいた皆様、誠にありがとうございました。

 

 

(追記)

また、5月6日の文学フリマには、

当サイトの運営者一人による「19卒・わたしの就活まとめと就活してないように言っててじつはちゃっかりやってるやつに対しての思うことなど(仮題)」というミニコミ誌(300円)を頒布します。。。ちゃっかり宣伝ごめんなさい

文学フリマ東京にお越しの皆様はぜひブースまでお越しください!

 

5月3日

zine制作同好会 かるだもん

 

 

 

「ヒッチハイクすればよかった」と思った就活期。狂っていたと振り返る理由

File006:くまがいさん

19卒 男性

早稲田大学文化構想学部 4年

デジタル系広告代理店内定

 

 

小説家を目指して大学に入学したくまがいさんは、爽やかで真面目な好青年です。器用な性格ゆえに就活を早めにはじめ、誰もが知っている広告代理店を第一志望に動いていました。夏インターンのときは「ヒッチハイクしとけばよかった」「商学部に入ってればよかった」と考えていたそうですが、ある出来事をきっかけにモチベーションが0に。結局、本選考をほとんど受けないまま、早期選考で決まったデジタル系広告代理店に進路を決めました。

なにが彼をそうさせたのか、彼は就活から離脱してよかったのか、振り返ってもらいます。

 

 

 

 

「就活ってダサい」って思ってた

 

——さっそくですが、人物像がイメージしやすいようにくまがいさんってどんな人なのかお聞かせください

埼玉県の公立高校出身です。高校時代はサッカー部に所属していたんですが、ずっと小説家を目指していました。だから文化構想学部の文芸ジャーナリズム論系(以下、文ジャ)に進学し、今は創作ゼミに入っています。

 

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——ありがとうございます。このサイトをはじめて6人目のインタビューですが、読者の方から「実際、意識高い」「すごい人多すぎ」との意見をもらいます。くまがいさんの大学時代はどうだったか、先に確認してもいいですか?

僕は全然意識高くないですよ(笑) サークルは文化系で、役職には就いてないです。一応パフォーマンスサークルなんですけど、一学年10人くらいの全然キラキラしてないところでした。

 

大学生活というと……入学してすぐweb制作アルバイトをしていました。1年半続けたんですが、そこがなかなかブラックで!

色々と問題を起こして、最終的には解雇されました。

解雇されて「小説を書こうと思って文ジャに入ったのに何もしてない」って気づいたんですよ。そこからはバイトしないで、本を読んだり書いたりしていました。

 

——まさに文ジャ!って感じですね。なんとなく人物像が見えてきたんですが、就活しなそうな雰囲気ですよね……

1~2年前は、自分でもそう思っていました。権威に媚びを売る就活と、自分が好きな小説の世界って正反対なんです。「就活ってダサい」と思っていましたね。

 

——そこから、なんで就職活動をすることになったんですか?

きっかけは3つあります。

 

まず、2年生後期に佐々木中先生のニーチェの授業を受けたことです。それが

とても熱量のある講義で、ああいまこのひとはものすごいことを語っているんだろうなと思いながらもまったく理解できなくて、こんなんじゃ学問の世界ではやっていけないと突きつけられたんです。

2つ目は、小説の創作についてタイムリミットが近づいてると思ったことです。もともと3年やって成果が出なかったらダメだなという考えがありました。

3つ目は、サークルの先輩の影響です。商学部の就活ガチ勢の先輩とよく絡んでいたので、単純に影響されました

 

——そうした要因が合わさって、就活に踏みきられたんですね。はじめてみて、嫌になりませんでしたか?

最初は「俺、就活してるわ〜ww」っていう感じで、就活をしている自分を遠くに据えてやっていました。

6月にはじまった夏インターンも、好きなタレントがCMをやっている企業を受けたり、富士急ハイランドで遊べるから富士急行を受けたり、本当に遊びだったんです。知っている食品・金融・メーカーをエントリーして、ときどき有名企業の5daysに受かるから「俺いけるわ」モードになっていきました。

文ジャ・サークルの周りは就活してないから「自分は違うことをしているぞ」って優越感がありました。承認欲求が歪んでたんでしょうね(笑)

 

就活は人を狂わせていく

 

——夏インターンはどうでしたか

参加してみて、就活意識が高まっていきました。

インターンでいろんな人に会うと「世界1周した」みたいな華やかな経歴が並ぶんですよ。「俺何もないな」って思って、こんなに引きこもって小説ばかり書いていたことを後悔しました。商学部に行った方がよかったかもと後悔したこともあります。

 

——性格が変わりはじめましたね……。では、秋インターンも受けられたんですか

はい。でも、ESでほとんど落ちました。

夏までは学歴や人柄重視の選考だった会社も、やっぱり秋からは「学生時代力を入れてきたこと」(以下、ガクチカ)で判断してくるんですよ。いよいよ企業の選考が始まったぞって気がしました。

 

今思うと、この頃からやばくなりました。「早稲田祭に向けてがっつりやってるパフォサーは馬鹿だな」って思ってたんです。

 

——ガクチカは何を話してたんですか?

ガクチカをこのタイミングで変えたんですよ。ES通過率は高くなりましたが、このときに自分の中で何かが崩れていく音がしました。

 

インターンのときは、クリエイティブをアピールしたかったので、高校のときにクラスの演劇で「脚本・監督・主演」をしていたってエピソードを言っていました。今思うと、高校時代のことを話すなんて、ウケが悪そうですね(笑)

 

秋からは、大学1~2年のときにやっていたweb制作バイトについて話すようになりました。もちろん“ウケ”がいいのはweb制作のバイトっていうのはわかってたんですよ。でも、いい思い出ではないし、バイトに力を入れていた自分っていうのもムカつくし、言いたくなかったんです。

でもOB訪問で相談するうちに、アピールするエピソードをこれにすることになりました。就活にのめり込んでしまったと思いました。

 

——OB訪問で相談……意識が高いですね

一番最初は、母が広告代理店の人を紹介してきたんです。「同窓会で再会したからお願いしといたよ」って。会ってみたら広告代理店の人って、クリエイティブで、シュッとしててかっこよかったんです。だから、その会社を第一志望にして、OB訪問をしてモチベーションを保っていました。

 

——モチベの保ち方が就活生って感じですね……

結局10人くらいに会いました。

いつも会社の社員食堂で会うからメニューを覚えたりして(笑)

 

「Matcher」などのアプリで送りまくったんですが、アプリはスルーされるなって思いました。だから、母の紹介から芋づる式で紹介してもらいました。

 

matcher.jp

 

——「就活ってダサい」って言ってた人と同一人物と思えない変わりっぷりでしね!

陳腐な映画のあらすじみたいですよね。絶対にやりたくなかったのに、どんどんはまっていって。

 

さらに就活ガチ勢になるエピソードがありまして。

年末に後輩と飲みに行ったんですよ。その子は僕のことをすごく慕ってくれていたんです。久しぶりに会ったとき、僕はインターン帰りでスーツを着ていたら、

「就活してるんすか。ショックです。そんな風になっちゃったんですね」

って言われたんです。後輩のいうとおり、就活しないキャラだったのに、気づけば半年間も積み重ねて染まってしまってた。でも後戻りできないから、「こんな大手行ったんだって思わせるぞ!」って意地になりましたね。

そこから冬インターンは、大手広告に絞って参加しました。

 

——インターンのESが通るのがすごいと思います!

通る用のESって作れるんですよ。

例えば、新聞社に応募したときは「秋インターンは演劇のことを書いて落ちたから、冬インターンではweb制作のエピソードを書こう」って思ったらまんまと通ったり。

 

広告会社でも、クリエイティブ志望から営業志望に変えました。

広告って基本的に営業の割合が多いんです。僕は絶対営業は嫌だったんですが、通過率を考えて「営業でもクリエイティブの良さがある」「クライアントの課題を見つけるってこと自体がクリエイティブだ」って自分を納得させていました。

 

半年やってきたけど、やっぱり就活ってクソ。

 

——インターンも行ってて、OB訪問も行ってたって、順調な就活生ですよね。本選考ではどうでしたか?

はい。年内が意識の高さの頂点で、早期選考のコンサルや広告代理店を受けていました。

 

ただ、2月にコンサル会社の最終面接があって、社長と1対1の圧迫面接だったんです。

「文ジャに行っています」→「何の意味があるの?」、「小説を書いています」→「夢見すぎじゃない?」みたいに、全部を否定してこられたんです。入社後のプレッシャーに耐えられるかの判断なんでしょうが、それにしてもこのやり方はあまりにもクソだなって思いました。

 

それで【これが就活だ】ってわかったんです。なんだか就活への反発意識が蘇ってきたんです。「半年やってきたけど、やっぱり就活ってクソ」って。

 

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——ここで自分を取り戻すんですね!

そうです。それに、並行して受けていたデジタル系広告会社の選考がすごくよかったんです。この会社は営業もないので「もうここでいいかな」「俺、営業やりたくない」って気持ちが溢れて……。結局、この会社が就職先になりました。

 

——内定先のどこに惹かれたんですか?

面接の内容が「この飲み物を担当するなら、どういうPRにしますか?」って内容で、その場でものを考させられる問題だったんですね。

 

あと、小説の話を単体として聞いてくれたんです。他の会社って【小説で学んだことを会社でどう活かすか】ってことを聞いてくるのですが、正直そんなものはないんですよ(笑) だから、単体の活動として聞いてくれる会社は誠実さを感じて「ここに行きたいな」って思いました。

 

——それでも、大手の本選考は受けられたんですよね?

3月に入ってからは、やる気がない状態だったので、大手広告代理店と大手メーカーを6社エントリーしました。

 

ずっとモチベーションにしていた広告代理店は、4月中旬の面接で玉砕しました。絶対営業に行きたいって言わないところで「クリエイティブしか行きたくないです」って口に出しちゃったんです。直前までサークルでの営業の話とか、web制作アルバイトの話とかを準備していたのに、全部出てこなくて小説の話をしてしまいました。

結果を聞かないでも落ちたってわかったので「今まで何をしていたんだろう」という思いが込み上げてきて、一気に覚めました。そのまま家電量販店でペンタブを買って、アニメを作ったり絵を描いたりする生活が始まりました。ブラックバイトを辞めた後に本漬けの生活を送ったのと同じパターンです。

 

(くまがいさんのnote)

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怒りを原動力に創作していたくまがいさんのnote、めちゃめちゃ面白いです。これは「就活のやり方で恋愛をやってみた。」という文章。お祈りの「くまがいくんが誰かと幸せになること祈ってるよ」が秀逸です



 

——それで本選考は終了ですか。

一応、夏インターンをした会社が【インターン選考】をしてくれたのでそれだけ受けました。裏ルートみたいなもので、6月に即役員面接という形なんですよ。「大手も受かったけど蹴った」って友達や親に言いたいから受けました。

 

一回裏ルート知ると普通の選考に戻れないですよ。

内定先のデジタル系広告代理店も早期選考で倍率も低いしじっくり見てもらえましたし。そこだけは早めにインターンをしていて良かったと思います。

 

——そうなんですね。くまがいさんのnote面白く拝見していますが、就職してから小説は書かれないんですか

小説にも未練はあります。就職先が副業推奨しているので、書き続けようと思います。

 

僕は、刹那的に生きている小説家志望の人間になりたかったです(笑)「就活しようと思ったけどESの締切が守れない」とか「単位落としてるから就活できない」とかの人って憧れます。でも、自分は器用だから就活ができちゃったんです。将来や老後の不安も拭えなかったですし。

 

——ちなみに、小説家志望なら、出版社は受けなかったんですか。

出版社だけは行きたくなかったんです。

高校生のときは「小説家か出版社かな」って思ってましたが、文ジャでやってるうちに仕事にしちゃいけないなって思いました。売れる・しょーもない小説を作って売りに出すのは死にたくなるだろうなって分かってたので(笑)

 

——そうなんですね。就職先は、くまがいさんに合っているところでよかったですね。春から頑張ってください!

今でも、全然働きたくないんです。働きたくないけど、働かなくちゃいけないなら、この会社しかないなって思っています。

文化構想学部の割合も多く、面白い会社で、副業も推奨されているから小説も書き続けられる。いろいろ考えたらいい選択だったなって思いますね。

 

note.mu

 

 

「自分に自信がないんです」自己PRができない学生の就活振り返り

早稲田大学文学部英文学科

19卒 女性

大手キャラクターメーカー就職予定

File:05 のりさん

 

 

人気業界の出版・映画配給を志望したのりさん。頑張り屋さんの彼女ですが、唯一の弱点は【自己PRが苦手なこと】。謙虚で嘘がつけない性格だから、就活はすごく難航したそうです。

インタビューの場で自信なさ気に自分のことを話すのりさんをみて、私までこの就活制度を恨めしく思いました。大手キャラクター会社の内定を獲ったのは、彼女の真のよさをみてくれる選考だったからかもしれません。インタビュー最後の就活振り返りは、本当に的を得ているので是非みなさんに読んでもらいたいです。

 

 

——のりさんの大学生活を教えてください。

サークルしかやっていませんでした。軽い気持ちで英語サークルに入ったんですが、ハマるとズブズブいっちゃうタイプだから毎日サークルでした。活動はスピーチ・ディベート・演劇の3つですが、私は下級生が活動をするための包括的な計画をする部門にいました。

3年になる時に副幹事長選挙に出たら相手の子に1票差で負けちゃって。だから、3年は合宿統括みたいな役職をやっていました。

 

——大学でも有名な、大きいサークルですよね!就活でもそのエピソードを言っていたんですか。

はい、サークルしかやってなかったこともあり【サークルで40人程の下級生の運営をまとめた】というエピソードばかり話していました。

サークル以外のエピソードを聞かれたときは、おにぎり屋さんでのバイトのことをすごくカッコよく言ってごまかしていました(笑)

 

——英語サークルなら英語力がアピールできそうですが

就活で英語力を強調したことはないんです。

サークルの話をすると、よく「じゃあ英語できるの?」って聞かれましたが、「私は英語の活動自体にはそんなに興味がなくて、運営に力を入れていた側なので、英語が話せるわけではないんです。」って正直に言っていました。

 

——……もしかして、自分をアピールするのが苦手ですか?今話したところ、全体的に謙虚さを感じます。

はい。自分に自信がないからアピールが苦手です(笑)

その上、過去エピソードを論理的に話せなくて。周りの人みたいに「その場で自分のすごいところを筋立てて話し、企業との適性をアピールする」なんてことはできませんでした。

 

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***

 

——ズバリ、就職活動はどうでしたか

辛かったです。

出版志望だったから、「行けるかも!」みたいに希望が持てる瞬間もなくて、不安でいっぱいでした。

 

——出版の就職活動って難しいんですか

採用が10人程度の枠に対して、全国から希望者が集まるので、倍率が高いんです。就活をしながら、本当に狭き門だなあって感じました。

 

——でも、のりさんが行くことになる大手キャラクターメーカー(以下、X社)は超有名の人気企業ですよね。

そこ以外、全然受からなかったんです。

最終的に内定を頂けたのが、X社と中小出版社の2つだけでした。そこは、社長などが執筆する企業ブランディング本が主な出版物で、自分の好きなものとは違ったのでX社に決めました。

 

——なんでのりさんは出版を第一志望にしたんですか。

もともと漠然とした憧れで、出版、映画配給、放送系に興味がありました。趣味が映画、テレビ、演劇、アイドルなので。

先輩からはいろんな業界見ろって言われて他業界の説明会にも行ったんですけど、かえって自分は好きなことしか頑張れないってことがわかったので、志望業界は変わりませんでした。

 

——全部で、何社くらいエントリーされましたか

全部で40社くらいです。志望業界で内定を貰えなかったら……と思うと不安になって、「絶対行かないだろうな」って会社もエントリーしていました。

 

——詳しい就活スケジュールを教えてください。

大学3年の夏にサークルの同期がインターンに応募しているのを知って、就活を意識し始めました。私も東宝など有名どころのインターンを数社応募しましたが、全然対策も練ってなかったので落選しました。「どこも受からなかったらいいや〜〜」って、夏の間は何もしませんでした。

 

インターンは、1社だけ、損保会社に参加しました。サークルでサポート系の役職だったから、志望動機との親和性もあったんですかね。

 

12月くらいから本格的な就活を始めました。最初のころは、選考が早いテレビ局受けたり、OB訪問をしていました。

 

——OB訪問はどれくらいしたんですか。

サークルの先輩に映画配給会社に行った人がいたので、その人に連絡を取って数珠繋ぎ的に紹介してもらっていました。

また、父親の知り合いに出版エージェントの仕事をしている人がいたから、その人にも紹介してもらいました。

全部で10人くらいお話を聞いたかな。

 

——OB訪問をやってよかったですか。

会社についていろいろ教えてもらえたし、ESも見てもらえたので、オススメです。

 

——では、ES通過率は高かったですか。

ESって、添削されたら通過すると思うじゃないですか。全然そんなことないんですよ(笑)

すごく行きたい映画配給会社があったので、OB訪問やキャリアセンターで見てもらったんですが、ES落ちしました。

こんなに大人に見てもらったのに落ちるんだ……って思いましたね。

さすがに落ち込みましたが、「就活の不条理を学んだのだ」って思うことにしました。

 

#メモ キャリアセンターは就活期間中にESを持っていくと添削してくれます!

 

ES通過率は全体で50%くらいでした。

エンタメ系は手書きESが多いんですけど、サークルで色紙を作る機会が多かったから、色鉛筆で描く作業自体は楽しかったです。

 

——どの選考フローで落ちることが多いですか。

2次面接かなぁ。

 

1次面接は元気と笑顔とちょっとの業界知識で乗り切ってました。

グループディスカッションも、そんなに対策しなくても、にこやかにして話を聞いて、要所要所で意見を言えば落ちませんでした。

 

ただ、2次面接になると、面接官も役職クラスになって威圧感がでるし、聞かれる内容も深くなるし、すごく緊張しました。

 

——面接が苦手なんですね。

本当に嫌でした。その場で聞かれたことに順序立てて答えるのが苦手で。

それに、人と練習するのが恥ずかしくて一人で練習をしていたので、結局客観的に自分の面接がどう受け取られるのがわからなかったです。

 

対策もVokersとかリクナビマイナビとかのサイトを見るだけでした。気休め程度ですね……

 

——なんでX社をエントリーしようと思ったんですか

もともと出版配給は狭き門で不安だったので、3月から事務所・音楽レーベル・おもちゃ・印刷など出版・配給以外にも幅を広げてみたんです。

リクナビマイナビって「この会社を受けた人はこういうのも受けています」って関連企業が出てくるじゃないですか。そうして出てきたX社は、早稲田出身者も多そうだし、社員インタビューを見て楽しそうだったのでエントリーしてみました。

 

とは言っても、本当ギリギリにES提出したんですよ。郵送受付だったので、その会社の最寄りの郵便局まで駆け込んで送付しました。

 

#メモ 郵便受付で「必着」の場合、会社の最寄りの郵便局で郵送するとギリギリでも間に合うかも!

 

——その後の選考は?

ぽんぽんって進みました。筆記は、出版の対策をしていたので問題なかったです。

面接も、社員さんが全員優しくて、目を見て「うんうん、それで?」と和やかに話をしてくれる雰囲気だったから緊張せずに話すことができました。

 

——本当に合っている会社を見つけられたんですね。

それが、一回「絶対落ちた」って思ったタイミングがあったんですよ。

二次面接の終わりに「今日の面接の自己採点してください」って聞かれたんです。周りが「70点です」「80点です」って自分をアピールしている中で「20点」って正直に言ったら、ネガティブキャンペーンっぽくなっちゃったんです。絶対落ちたなって思ったんですが、なぜか通過しました。

 

——それでも受かったってことは、本当の自分を出しても受け入れてもらえたみたいで嬉しいですね!!

そうですね、内定をもらった時は嬉しかったし安心しました。

でも、出版社が本当に諦めきれなくて、7月中旬まで就職活動をしていました。

実は、小学館に最終落ちしたんですよ。なまじ三大出版の一つに最終まで行けたから諦めきれなくて、X社の内定を頂いた後も、7月下旬まで出版系の就活を続けていました。

 

「いつもいいところまで行くのに最終で落ちるのはなんで!?」って思って、就浪しようかも悩みました。実は私、大学受験で一浪してるんですよ。周りより2年遅れるほどの覚悟はないし、仕送りの問題とかもあるので、決断できなかったです。大学受験とは違って、浪人すればいいってことでもないですし。

 

——思い出深い選考ってありますか。

とある出版社の最終面接で、おじさん達にいじめられたんです。

「ミーハー心で受けたんでしょ」「どうせ有名人に会いたいんでしょ」とかいう言葉をたくさん浴びせられて、泣きそうでした。「馬鹿にされたなあ。ここはもう受かっても行きたくない!」って思いました。結局落ちましたが(笑)

風俗の記事もある一般大衆紙を出してる会社だったので、入社後に耐えれるのかを見られていたのかもしれないですけど、その前の面接まではいい人だったのでショックでした…。最終で現実を突きつけられましたね。

 

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***

 

——就活を通して学んだことは何ですか。

「現実は甘くない」です。世の中、頑張れば必ず報われるわけじゃない。でも、終わってみたときに自分の後悔がなくなるから努力をするんだろうなって思いました。

 

——のりさんも、凄く努力されてきましたもんね。

そんなことないですよ。サークルに就活ガチ勢が多かったんです。

文学部と違って、商学部の人とかは「ゼミの先輩からwebテ回答集もらった!」「面接対策やってもらってます!」みたいな話で盛り上がっていたので、それに比べれば全然です。最後まで自信を持てませんでした。

 

——周りの人で就活がうまくいってるタイプってどういう人だと思いますか?

何をどう対策すればいいとか、この質問の意図は何かとかが要領よくわかる人は強いです。

あとは、人に頼ったり、適度な息抜きができたりすることは大切だなあと思いました。

 

——就活終わってみて、学生時代やっとけばよかったって後悔してることは何ですか

好きなこと・興味あるものへの関わり方を学んだり考えたりすることですね。

明確に興味ある業界があったのに、作り手よりもプロ消費者になる道を歩んでいたなと後悔しました。サークルは出版と全然関係なかったので、個人的にZINEを作るとか、アウトプットにもっと挑戦してみればよかったです。

 

——なるほど。就活お疲れ様でした

今となっては、「なんで私はあんなに落ち込んだり泣いたりしてたんだろう」って思いますけど、就活中はただ精一杯だったんですよね。

思い出しても、なんで落ちたのか、なんで受かったのか、就活はわからないことばかりです(笑)

 

大手を諦めたら楽になった。ニッチなBtoB企業の「幸福すぎる」選択

 

早稲田大学教育学部4年

2019卒 女性

メディア系BtoB企業就職予定

もぐみさん

 

 

子供のときから絵を描くことが大好きだったもぐみさん。「どうせ就活するなら大手に行かなくちゃいけない」という使命感から、大手のデザイン職に目を向けていました。でも、就職するのは200人規模のニッチな会社。「考えるのが好き」で「ちょっと根暗」なもぐみさんにぴったりだとお見受けしました。そんな会社に出会ったきっかけと選び方をお聞きしました。

 

 

——就職活動の軸を教えてください

「伝える」ことをキーワードに、出版や新聞社を受けていました。本命は、新聞社のデザイン職でした。

 

——なんで「伝える」というキーワードだったんですか

子供のときから絵を描くのが好きで、寝食忘れるくらい没頭している変な子だったんです。

 

大学に入ってからも好きは変わらず、フリーペーパーサークルで写真を撮ったり、Illustratorでデザインしていました。こうしたことを仕事にできたら幸せだなあって思っていました。

逆に、好きじゃないことにはモチベーションがゼロになる性格なので、マスコミやエンタメ系に絞りました。

 

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——就職活動はいつから始められましたか

はじめは就活をしないでデザインの専門学校に行くか悩んだんですよ。

でも、流れに乗る方が楽だったから、大学3年生の夏から周りに合わせて就活を始めました。

インターンで出版社を1社応募したんですが、すんなり選考が通ってしまって。「あれ、案外いけるんじゃない?」と思って、ちょっと浮き足立ったんです。気づけば、むくむくと大手病にかかっていました。

 

——大手ばかり見るの、わかります

憧れと、腐っても早稲田という気持ちがありまして。

私は責任感が強かったので「就活を始めたからには大手に行かなければならない」「周りを納得させなければならない」と思って、大学3年の2〜3月は突っ走りました。合同説明会でも広告、新聞、おもちゃ、ゲーム、出版などの有名企業を回っていましたね。

 

今思うと、就活ハイになっていたんです。

「やったるで〜〜!大手、行ってみよう!ESバンバン書くぜ〜〜!」

って気持ちで、モチベーションを高めに置いていました。疲れたら、エンタメに触れて「こういう楽しい気持ちを作る仕事に就くんだ!」って奮起していました。

 

——すごい!バリバリな就活生をやっていたんですね。。。

大手志向のときは、就活を通して社会の仕組みを学んでるような気がして「ぐーんと成長している!」って思っていました。心は情報過多に疲弊してたんですけどね。毎日の選考結果メールと就活サイトからのDMに心を削られていました。

体力がないので、気力だけで乗り切ろうとしていました。

 

心隠して、背伸びして……ガタがきたんですが。

 

——どこらへんから違和感を感じはじめたんですか

説明会の段階で、就活生の数に圧倒されました。大手志望の学生の黒スーツの大群の中で私は生き残れるだろうか、とプレッシャーを感じましたね。

 

あとは、集団面接のときです。薄々と気づいていたんですが、エンタメに進む人は明るい人が多くて、私とは人種が違うなって思ったんです。

集団面接で、私がそこにいるだけで空気が違ってて。……なんて言っていいのかわからないけど、一緒に面接している就活生はすごく器用で世渡りが上手そうで、自分がいたたまれたくなったんです。「ええ、こんな小さいエピソードをうまく話せるんだ。すごい」って思ったりしました。

 

——確かに、もぐみさんのポートフォリオは、他の学生のエピソードに負けないほどしっかりしていますね。Twitterで有名な美大インフルエンサーや企画プランナーの制作物とも引けを取らないと思うんですが……

そういう人たち、一番苦手な人種です(笑)「大学生/プランナー」とか、スラッシュで区切っている人ですよね(笑)

私は不器用だけど頑張ってる人とか、黙々と作業に没頭している人とか、拙いけど根がいい奴とかになることを目標としているので、そうやって自分を大きく見せて売り込むのが苦手で。

 

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 (ポートフォリオ。シンプルでエレガントな誌面デザインから、受験生応援の面白企画立ち上げもしていて、幅の広さを伺えます)

 

——思い出深い就活のエピソードってありますか

本命の新聞社が最終で落ちたことです。

厳かな雰囲気で、これからの新聞の意義とか、グラフィックスの意義とかを聞かれたんです。その間、面接官の方々が私の目を見ずに、ただポートフォリオばっかり読んでいるのが気になったんです。

それで何を血迷ったのか「私のことをちゃんと見てください!私やる気です!」って言っちゃったんです。自分を見てくれないのは嫌だな〜〜と思ったので、本当の気持ちを言って見たら、役員の方々がびっくりした様子で変な雰囲気になっちゃったんです。

 

——そうだったんですか……。思い切りましたね。

自分は良くも悪くも正直なんです。でも、就職活動の間は嘘ついて周りの雰囲気に合わせようとして。

この面接で、しわ寄せした分が爆発しました(笑)

 

——もぐみさんにとって「大手企業に入りたい」という気持ちと「正直に生きたい」という二律背反の気持ちがあったんですね。

私の就活は、最初に高すぎる目標を持ったら苦しくなって喘いでしまい、地に足をつけ始めてちゃんと歩けるようになったんです。

 

今思うと、そんなに明るくない性格だし、急に華やかなことはできないし、正直にお話しをして受け入れてもらえた内定先の方がよかったんですよね。何か発信したいのに、不器用で恥ずかしがり屋の私にはぴったりの会社でした。

 

***

 

——内定をもらったのは、どのような会社ですか

何会社っていうんでしょう……。メディアに写真提供をする、BtoB企業です。

 

——いつからその会社のことは知っていたんですか。

テレビや雑誌など色々な媒体で目にするので、社名だけはずっと昔から知っていました。

就職先として意識し始めたのは、大学4年生の4月です。その時期、就活で頭がいっぱいになって、どんな会社名でも目にしたら【○○ 採用】って調べていたんですよ。内定先も普通にマイナビに載ってたらしいんですけど、私はそのやり方で採用ホームページにたどり着きました。実を言うと、「まだ募集しているし、ついでに受けとくか」ぐらいの気持ちでエントリーしました。

 

——大手志向からニッチな企業に転向したきっかけはどこからですか。

きっかけはありません。とりあえず受けてみただけです(笑)

でも、結果的にこの選考で、就活でズタボロになった自尊心を引っ張り上げられたって感じです。

 

選考が全然違ったんです。食卓くらいの近さで、柔らかく、対等な関係で、目を見て話せる面接だったんです。面接が終わった後、心地よさが胸に残るんですよ。もう、途中からこの会社が大好きになっていました。

 

——今までの話を聞くと、もぐみさんはメディア系にこだわり続けたようですが

いいえ、食品や小売にも浮気しちゃいました(笑)

不思議なことで、内定先の選考で勢いがついたのか、それらの選考もうまくいったんですよ。

でもメディア系以外は「ちょっと違うなあ」という気持ちがあったので、6月の最終週に内定を頂いたら他は選考辞退をしました。だから、内定は1社だけです。

 

——いい会社に出会えてよかったですね(ほろり)

選考過程で相性の良さがわかりました。大きくはない企業だから、次回の選考日程もメールでやり取りするんですよ。選考サイトで空欄になってる時間帯のボタンを押すロボットみたいになっていた今までとは違うんですよね。

 

しかも、選考期間もゆったりとしていました。「企画書を作ってきてください」「もし仮に〇〇についての雑誌の特集を作るならどんな写真を選びますか」というような、考えてないとできない課題が与えられたんです。雑誌の特集の課題が与えられたときはフリーペーパー制作をするサークルに入っていて良かったと感じました(笑)

 

面接でも「好きな写真家はいますか」と聞かれて「いません。でも好きなイラストレーターはいます」と正直に話しても、好意的に伝わったんですよね。小さい会社は守備範囲が違う方が面白くて、そういうところも自分の個性が活かせると思いました。

 

***

 

——では、就職活動の簡単なことについて聞かせていただきます。大手志向だったときから、OB訪問はしてきたんですか。

広告系のOB訪問を少ししましたが、いくらOB訪問に行ってもダメなところはダメでした(笑) やる気が無くても、やる気を出しすぎてもうまくいかないので、就活は本当にフィーリングだと思いました。

 

——ESはどうですか?大手はES落ちが多いというイメージですが

ESはだいたい通りました。落ちるたびに反省会をしていたことと、親や友達に添削してもらったのが良かったんですね。親には人事目線で、友達は私のキャラクターと齟齬がないかチェックしてもらえて良かったと思います。

 

だいたいは、一次面接や筆記で落ちたんです。面接が慣れてないのと、筆記勉強でのテクニックがなかったことですかね。

筆記試験の作文って、周りで出版社に内定した人に聞くと、ネタを数個用意してどれが出てもいいように対策するらしいんです。でも、私は作文ってテーマを見た瞬間にパッションで書くものなんじゃないのかなって思ってて、そういうところも合わないなって思っていました。

結局、器用な人が選考進むんですよね。私は不器用なので劣等感を感じました。

 

——資格は何を持っていましたか。

英検と色彩検定2級と普通自動車免許ですね。

私の就職は、美大生や専門学校生との戦いだったので、色彩検定は持ってて良かったと思います。

 

——福利厚生は重視しましたか?

全然見ていませんでした。子供のときから寝食忘れて絵を描いてたし、好きなことを優先する上では仕方ないと思います。フル活動で頑張ります。

 

——幸せそう!最後に、就活通して思ったことを教えてください。

「等身大で行かないと、返ってくるのは自分」です。

背伸びするって辛いですよね。面接で自分を華やかに語るだけでもすごいことなのに、会社に入ってからも何をできるかアピールし続けないといけないのは難しいと思います。大手に就職するからといってまったく人間性が変わるわけでもないし、自分らしくいられるところを選択して良かったと思います。

等身大の自分を認めてくれる企業に出会うと、自己肯定感が上がりますよ(笑)

 

——もぐみさんは内定先を「大手じゃない」と言っていますが、業界では唯一無二のポジションにある、いい企業ですよね。

はい、そう思います。俯瞰的にいろんな会社の動きが見れるし、BtoBって「世の中に隠れているけど、私もいるよ」って思えて幸せじゃないですか。

【得意な事】と【やりたい事】と【できること】の最大公約数の会社に入れたと思います。

 

ベンチャー?大手? 好きを仕事にする?しない?

 

 

文学部4年・仏文コース(19卒)

女性 映画配給会社

file03:みぞれさん

 

 

2年の夏からベンチャー企業の中長期インターンをいくつか受けていたみぞれさん。春からは大手の映画配給会社に就職することが決まっています。インターン先のベンチャー企業にそのまま就職できる状況の中で、大手を受けた経緯についてお伺いしました。

 

 

——みぞれさんは文学部ですよね。なにか、文学部に入った理由などあれば教えてください。

私立文系の中では数学ができる方だったので、経営やマーケティングに興味があり数学受験で商学部や経済学部を受けていたんです。ついでに数学併用方式で早稲田大学の文学部、文化構想学部を受けました。でも、本命は落ちてしまったので文学部か文構ってことになって。

実家が良くも悪くも保守的で「文構って夜間じゃないの?」って空気があり文学部に進むことにしました。

 

ーーフランス文学コースに進んだという選択にも実家が保守的であるということは関わってきましたか?

そうですね。本当は社会学コースや心理学コースで勉強をしたかったんですけど「仏文がお嬢様っぽくて似合っている」と親や姉から猛プッシュされて屈しました(笑)

でも、それだけじゃないんです。1年の語学のクラスの雰囲気が苦手で、その中でも器用でキラキラした子が、社会学とか心理に進みがちだったんです。早稲田の文学部では就職に有利な学部と言われていて、そういう雰囲気が苦手で仏文の説明会に行きました。

 

仏文の説明会はお菓子が出て和気藹々としているんです。その中に素敵な先輩がいて、すごく憧れて仏文に決めました。その方はワインが好きで、在学中に趣味でソムリエ資格を取って、それを活かしてワインの商社に就職されたらしいんです。

 

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ーー素敵ですね。好きを仕事に、ですね。

ちなみに、サークル活動なんかは、なにをされていましたか?

そもそも、新歓の時期に体調が良くなかったのと、新歓の騒々しさがあまり得意ではなくて、サークル探しがちゃんとできませんでした。

最初は茶道サークルに入ったのですが、あまり行かなくなりました。友達に誘われて1年の後期から出版サークルも入ったんですが、それも途中でやめました。

 

ーーいつ頃から就職活動をしていたか教えてください。

2年の夏にワークスアプリケーションズインターンを受けたのが最初です。1年生のときに就活を終えたばかりの先輩にお勧めされたんです。16万円もらえて、プログラミングも勉強できるからいいよって。だから受けました。選考には通ったんですけど、採用人数が多すぎたということで抽選でお祈りされました。

 

ーーかなり早くから動かれていたんですね。

そうですね。私はこれを【インターンビジネス】って呼んでて(笑)、お金をたくさんもらえるインターンをやっていました。就職とかは考えてなくて、とりあえずバイトとしてお金を稼ぎたかったんです。

 

ーーインターンビジネス!

はい(笑) 大学2年生の後期に交換留学制度で同志社に行ったんですけど、関西で友達を作ろうと思ってリクルートインターンを受けたんです。そこも日給1万円×5日間の好待遇でした。

受かったので参加したんですけど「ロジカルシンキングって何?みんなすごいなぁ〜〜。はわわ〜〜」って感じでしたね。当初の目的だった友達作りはうまくできて、今でも仲良しです。

そのあと、大学2年生の3月にワークスアプリケーションズから「前回は人数の問題でインターンしていただけなかったのでお越しください」って呼ばれて、そこにも行きました。

 

ーーそんなに内容には興味なかったですか?

インターン生は理系でコードをかける人が多くて、わたしはプログラミング初心者だったので、そのギャップが辛かったです。でも、そのかわり社員の方とたくさんコミュニケーション取っていたら、全然予想外だったんですけど、卒業後2年間入社できる内定パスをもらえて、とても嬉しかったです。成功体験になりました。

 

ーー順風満帆な滑り出しだったんですね。

うーん、はい(笑) そのあと大学3年の夏あたりから周りがガチになっていくのに反比例して就活に対するモチベーションは落ちていきました。夏に「受かるっしょ(笑)」と思って受けた大手広告のインターンの面接が、落ちてしまって。暗い気持ちに拍車がかかって、何もやりたくなくなったので、映画ばかり見ていました。1日に2〜3本観ていました。

 

ーーすごい!たくさんみてますね。就職先にもつながるような……。映画系のインターンは受けなかったんですか?

文学部に入ったときに「エンタメ系とかメディア系の会社に入るかな」とはなんとなく思っていたんですが、倍率が高いのは知っていたし、本当に好きな会社に落ちるのが怖かったので、ITベンチャーインターンしか行っていないですね。

最初にITベンチャーを受けて受かったので、成功体験があって、そのまま同じジャンルを受けました。

なので、3年の秋にメルカリが「海外に行けて、12万もらえる」インターンの募集をしてたとき、夏にどこにも行かなかったし応募してみました。アメリカに行けて、楽しかったです。 同時期にITベンチャー(以下、M社)で中長期インターンを始めることになりました。

 

ーーなるほど、では本格的に就職活動が始まってからはどこらへんを受けていたんですか?

12月くらいから、慌ててテレビのESをバーって出しました。でも、今まで対策を全然やっていなかったのでボロボロで、ES落ちと筆記落ちでしたね……。

すごく落ち込みました。M社で中長期インターンをしていたので、そのまま就職しようかなと思い始めました。

 

ーーでも、就活を続けたんですね。

気持ちは結構揺れてました。M社の社員の方に話を聞いたら、「もっと考えたほうがいいよ」って言われるんです。わたし的には、ここで「良いじゃん!うち入りなよ!」って言ってもらって「入ります!」って就活を辞めたかったんですけどね(笑)

 

確かに、急成長中のベンチャーは、みんな慌ただしくて、教育体制が整っていなくて不安だなって思っていました。同期になる人はコードを書ける理系か、英語ペラペラでインターン経験豊富な文系が多くて、教育制度がなくても会社でやっていける人たちだったんです。でも、わたしはスピード感もなくて、英語もできなかったので、その点も不安でした。

 

それで、3月1日は大学の合同会社説明会に行きました。大学側からは1コマ目から最後のコマまで会社説明会を巡ることが推奨されていたんです。でも、体力的に難しさを感じました。それに、大講堂で行われる説明会にたくさんの人が集まっているのをみて、この中から十数人かしか取られないんだ……と思ったら気持ちが萎えました。

 

ーー不安になりますよね。最終的にベンチャーではない方針に進んだのは何故なんですか?

ベンチャーのすごい人って大手でも活躍できる人なんだ、って気づいたことですね。ベンチャー的なワンマンの人の近くで働けるのは良いことだと思うんですけど、自分がそうなれるかというと違うと思いましたし、実際「違うよ」って言われました。大手から逃げて、ベンチャーに入るんじゃなくて、大手に入ってバリバリやっていたら、自然とベンチャーからヘッドハンティングされるような人物になることが自分の理想だったんだと、改めて考えたらわかりました。

 

働き方の問題もあります。ベンチャーって5年スパンで業界内を転職して転々とするのがメジャーなんですね。わたしはそのスタイルも合わないなと思っていました。

あとは、単純に私が文学部に染まりすぎてしまったという問題があります。一緒に働いている人は、明るくて、合理主義者で、先進的な人が多くてちょっと肩身が狭かったです……。「難しい本読んでるね(笑)」みたいないじられ方をすることもあるし、共通言語が使えないなってストレスもありました。自分は良くも悪くも保守的で、それは育ちの問題だから治らないと思うので、そういうことを評価してくれるところに就職したいと思いました。

 

ーーそれで、大手なども受けたんですね。

そうですね。20社しか受けないって決めて、そのうち3社は徹底的にリサーチして受けようと思ってました。3社、説明会やOB訪問などをし尽くした結果、内情を知れば知るほど受けたくなくなって大変でした(笑)

働いている人があまりにも自分とかけ離れているなと思ったり、「あなたが思っているより自由のない会社ですよ」とOB訪問で言われたり。

 

ほんとは、どんな会社でも行くつもりだったんです。でも、過去を振り返ってみたら、学科やサークルなど、全部嫌だったら投げ出して、自分の好きなことを伸ばす生き方をしていたんです。だからもESで書くエピソードも、辛いことを耐え抜いた経験とかがなくて。面接とかでその部分がバレちゃって、あんまり興味がない企業からはすぐにお祈りされました。

それに、週5でスーツを着て自分を隠して就活してみたところ、スーツは堅苦しくて嫌いだし、興味がない会社のESは全然筆が進まなくてストレスが多かったし、週5で働くって興味がない業界だとできないって分かりました。

 

ーーそうですよね。最終的に内定先となった会社はなぜ受けようと思ったんですか?

映画が好きだったので、周りの人から「映画の会社受けないの?」と常に言われていたのと、大学の合同会社説明会で、友達の付き添いでその会社の説明会に行ったのがきっかけですね。

 

その説明会で人事の方が「うちの業務は全然華やかじゃなくて、地味だし大変なんです」ってお話をされてて、猛烈に感動したんです。ちょうど「うちの会社楽しいよ!!ハッピーです!」みたいな説明会を直近に受けて疲弊していたので、正直な感じに好感を抱きました。

あとは、説明会に登壇した内定者の中に、知っている先輩がいたんです。人形メディアゼミっていう結構トリッキーなゼミにいた人で、あの人が行っているなら私にも合うんじゃないか!という思いもありました。

 

スルスルと選考が通り、映画業界に就職するって決まってからは本当に道が拓けたように感じています。自分の人生に映画っていう軸が通りました。映画観ていても、仕事のためだって言えるのが本当に嬉しいです(笑)

 

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 (内定者課題のために読んでいる本。「映画のためならいくらでも勉強できるし、楽しいです」)

 

ーーこれだけは絶対に言いたい!ってことはありますか?

ベンチャーを受けるのがすごい、みたいな風潮あるじゃないですか。やりたいことが明確で、裁量権があって、最先端というイメージで語られていますよね。でも、それを鵜呑みにすることはないと思います。

ベンチャーか大手かで相談するとき、相談相手が新卒一年未満の人は「ベンチャーがいいよ」っていう人が多いんですけど、大手とベンチャーの両方を経験している人にベンチャーってどう思いますかって聞いたほうがいいです。

 

わたしとしては、ベンチャーは新卒一括採用が苦手だって人とか、あと偉い人に好かれると決まることがあるので世渡り上手な人とかに向いていると思います。

就職活動って、合う会社は信じられないくらいスルスルと選考が進むんです。なので、無理して「ベンチャーがいい」とか「就活偏差値が高い方がいい」とか言わないで、みんながそれぞれ自分にあった企業に巡り会えればいいなってと思います。

 

 

 

 

 

就活辞めて美術専門学校に。イイ子のレールからの脱線計画

 

文化構想学部5年・表象メディア論系(19卒)

女性 進路未定

file02:ひなこさん

 

 

2017年1月、当時大学3年生のひなこさんは周りと同じように18卒として普通の就活をはじめましたが「思考停止して就活をしている自分」に疑問が拭えず、鬱々と寝込む毎日を送ることに。ただ、そこからの突破劇がすごかったです。実は就活前からふつふつと胸に秘めていた専門学校に行くという目的のために両親を説得し、自由への切符を勝ち取りました。「思考停止することだけは嫌だ」と言って、よく似合う赤い着物を身にまとい、新宿の喫茶店で煙草を吸う彼女に、お話をお聞きしました。

 

 

——まず、ひなこさんの1年目の就活がどういう感じだったかを教えてください。

もうほとんど記憶に残っていないのですが、すごく、形骸的な就職活動をしていたと思います。

 

私は、大学でフリーペーパー制作サークルのデザイン統括という責任が重いポジションだったので、大学3年は夏インターンにも行かずにサークルで仕事に打ち込んでいました。大学3年の1月ごろから、とりあえず1dayの冬インターンに行きはじめました。OB訪問とかはやらなくて、20~30社くらいESを出したかなあ……。

 

あんまりやる気がなくて。そもそも就活を始める前の段階でデザイナー職にすごい興味があったので、学歴不問のデザイン職にも幾つか応募してみたんです。でも、結果は惨敗……。

それで、「デザインの勉強に興味があるから専門学校に行きたい」って話を親に相談してみたら「そんなのになれるわけないだろう」「ありえない」って感じでバサっと切られて、その話は消滅しました。

将来的にデザイナーになりたいって気持ちが強かったから、一般企業に入るとしても活かせる職がいいと思って、広告代理店とか、人材系とか、いわゆる無形商材を扱う会社を受けていました。

 

——そういえば、私(聞き手)はひなこさんと直接の知り合いなんですけど、就活をはじめるタイミングで「営業とかの職について、デザインは趣味でやる」と遠い目をして言っていましたよね……。なんかあの目が印象的でした。

そのときは、自分に言い聞かせていたんですよ。

本当はデザインは趣味じゃなくて、社会に近いところでやりたいと思っていたんですけど、許されないと思っていたんです。

 

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——就職活動自体はどうでしたか。フリーペーパーのデザインもできるし、責任感もあるし、就活も得意そうに見えるのですが……

肝が据わってるとよく言われるので、グループディスカッションや面接で自分を出すのが得意でした。それ自体は問題なかったんです。

 

ただし、私、7割が最終面接で落ちるんですよ。思い出深いのが、とある会社の最終面接で偉いおじさま方に圧迫面接されたんですね。「今までの選考で出会ってきた、誠実で先進的な社員たちはなんだったんだ~」って思うくらい、重箱の隅をつつくような質問を連発されて。 それで、

「あ、私、おじさんが嫌いだった」って思い出したんですよ。嫌いなのに媚び売って就職するわけにはいかねえぞって(笑)

 

——でも、1社内定はでたんですよね

そうですね。ファンキーなおじさん社長だったので、人として好きになれたんです。ただ、その会社は、両親からNGが出てしまいました。親は、私がちゃんと就職活動をしないで、さらっと中小企業に入るのが気に入らなかったみたいです。

私にとっては、結構苦しんで勝ち取った内定だったので、否定されて落ち込んでしまって……。そこから、一本緊張の糸みたいなものが外れてしまって、寝込んでいました。

 

——寝込む!?

本読んだりスマホいじったり、一日中布団から出ない生活を送っていました。鬱々とした日々でしたね……。実際、自殺未遂みたいなことも何回かありました。その生活が大学4年の6月末から7ヶ月間続きました。

そのときに、デザイン系の専門学校の資料請求をしたんです。学校パンフレットを見ながら「資金を貯めて、勝手に学校にいってやろう」って計画を夢想していましたね。そうすることでしか、自我が保てなかったので。

 

——そのあと、どういう風に決めたんですか?

いよいよ2月くらいになって、卒業ももうすぐだし「どうするの?」ってなったとき、ちゃんと親とぶつかって専門学校に行きたいという話をしました。

 

結果として、親とは「専門学校に行く代わりに、大学は卒業しないでダブルスクール扱いにする」という妥協点で和解しました。保留してもらっていた内定は、寝込みはじめたころに辞退していました。

 

——すごい決断ですね。

ちょっと面白い話になるんですけど、私と親の関係って、鎖に繋がれている大型犬ってイメージだったんですよ。小屋からどれくらい離れたら、鎖がピーンってなって止められるか、その距離感を測って生きていたんですね。

だから、この「就職しないで専門学校に行きたい」って言った瞬間、初めて鎖がピーンってなった気がしたんです。バトルは大変でした(笑)

 

***

 

——専門学校の選び方を教えてください。

選び方は、第一に学費です。昼はバイトして夜間に通おうと思っていたので、大分絞られました。

行くことに決めた学校は、直感です。大学の先生におすすめの学校をピックアップしてもらったんですが、その3校の中で一番目立っていない学校があって。ネットの「おすすめの専門学校ランキング!」とかにランクインしないようなところで、無性に気になったんですね。

有名な専門学校は「就職に有利」って文句がつくんですよ。そうすると、「この学校に入ったら安全でしょ」みたいな人が集まってくるんじゃないかなって思って。そういう人とは反りが合わないので、あえて「じゃないほう」の学校に決めました。

しかも、ちょうど鬱々とした期間だったので、体力もなくて学校見学に行った一校目で決めちゃったんです。ほんと、直感でした(笑)

 

——そうして決めた専門学校は、どうでしたか?

めっちゃ楽しかったです。

なんか、人生の行き先を手探りしてる大人がいっぱいいたんですよ。公務員やってたけど自分の好きなことやりたいとか、デザイン系の会社員だけど何もわからないからスキルアップしたい! とか。大学ではお会いすることがない人をたくさん見て、結構人生って自由なんだなって思いました。

 

単純に技術の面でも進歩しましたね。学校は週4の授業で、座学3割:製作7割でした。使えるソフトも増えたし、作業スピードもアップしました。

切磋琢磨する同級生がいることも大きかったです。サークルでデザインをやってたときは遊びの延長でしたし、専門学校の同級生たちと同じ目線でものをみて、デザインについてあーだこーだ言い合えたのは嬉しかったです。

 

——1年間の専門学校生活なのに、すごい広がりましたね。

はい。引っ込み思案な自分を変えたくて意識的に行動したら、学校の授業以外でもいろんな経験をさせてもらいましたね。

 

——ひなこさんの行動力がすごいです。

私は、良い子ちゃんぶりすぎたんですよ。今まで、自分を十分に殺しきったから、我慢の限界だと思ったんです。 

本当は自由人の星のもとに生まれてきたのに、自分のことを「小心者で臆病な優等生」だと思い込んでいたみたいなんです。

空気を読みすぎて苦しくなっていたので、いまは公共の福祉にのみ気を配る程度でいいや〜って変わりました。

 

——その思いはいつごろから始まったんですか。

2011年に「日常って簡単に変わるな」って思ったから、我慢して楽しそうに繕うより、とにかく好きなことをして生きたかったんです。

 

***

 

——今後はどうするんですか

いま就活中です。ポートフォリオを作って送る感じの就活をしています。

 

——ポートフォリオとは、なんでしょうか……。

作品集のことです。自分が作った作品の画像と制作期間やサイズとかの情報と、その意図を書いて、製本して提出するんですよ。

例えば、私がデザインした『ADHDワセジョのそれでもどっこい生きてる!』というZINEだとすると、デザインをする前に執筆者の企画意図を聞き取りました。この場合「幅広く生きづらいと思っている女の子に届けたい」「当事者の人たちに届けたい」という背景があったので「ターゲットのカルチャー層に刺さる色はどんなだろう」とかを調べて、そこに合ったデザインに落とし込んだんです。そういう過程と結果を幾つか並べるんです。

 

 

——ひなこさんにとっては2回目の就職活動ですね。

普通の就活と違うのは、年間通じて採用がある業界だから競争意識が煽られなくて良いですよ。「周りがはじめたから私もやらなきゃ」って嫌じゃないですか(笑)

もし、いま、デザインと無関係の就職をすることになったとしても、めげずにやっていきたいと思っています。

 

——「デザイン」という好きなものがみつかったのすごいですよね。

高校の時は好きなものがなかったんです。自称進学校にいたので、高校2年の秋からガリ勉でした。確かに、勉強は楽しかったんですが、高校3年になったあたりからオタク趣味を封印するなど、大学受験で心を殺しすぎたなって思います。

だから、満を持して大学に入学した瞬間、好きをちゃんと保って入学してきてる同級生をみて「わたし、なんもない!」って焦りました。

そこからなんとかしてわたしの好きを見つけようと思ったので、デザインを好きになったのも、単なる思い込みだったのかもしれません。でも、思い込みでもいいんです、幸せな思い込みだと思うので。

 

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(赤い着物に黒レースの羽織、ゴツめの指輪にシュッとしたボブヘア!愛読書の「銀河鉄道の夜」は、自己犠牲のお話で今日のインタビューともぴったりでした)

 

——今日のお着物が大変お似合いですが……それも ?

これ……語ってもいいんですか?(笑)

着物を着ているときって注目されすぎて、逆に周りの目が気にならなくなるんですよ。例えば今日着ているのも真っ赤で、洋服だったら派手すぎるかなって思うかもしれないんですが、着物は形がシンプルだからいけるんですよ。

「自分は太っているかもしれない……」っていう体型コンプレックスも着物は消してくれるんです。

周りの空気読まなくていい服装で、一番自分らしく居られる服です。戦闘服ですコレは。

 

——意識高いサイトみたいで恐縮ですが(笑)、悩んでいる就活生にひとこと、なにかありましたら言ってください。

生きて。今つらくても。としか言えません。

私は、就活で苦しんでいる人はたいてい、思考停止ができない人なんだと思うんです。でもそれって手放しちゃいけないものだと思います。だから、無理やり就活に染まるよりも、一回振り切って落としどころを探してみてもいいんじゃないかって思います。

 

——せっかく早稲田までいったのに、みたいな葛藤がある人もいるんだと思うんですよね。

うるせえ、で一蹴しましょう(笑)

早稲田に行ったのは自由意志じゃないですか。高学歴のいいところは、ひとよりもたくさんの選択肢を持っていて、総合的な力を持っているところだから、なにをやってもいいと思います。私の場合でも、大学とデザイン学校の両方の経験をしたから、社会に還元できることがあると思うんですよね。

 

そもそも、新卒一括採用なんて某企業の思惑じゃないですか。チョコレート会社の思惑のバレンタインは参加しないでもいいのに、新卒一括採用はマストで参加しないといけないなんて踊らされてるよって思いますね。海外のギャップイヤーみたいな形で社会に出るのは、本当にいい制度だと思います。